猫塚・ねずみ塚
約2年前、水曜日を臨時休業にして1泊2日の小旅行に出かけた。
静岡市と浜松市の中間地点、太平洋に少々突き出た朝日と夕陽のきれいなところ。
はっきり言って今は『ぱっ!』としないさびれた観光地だ。
片道約4時間。
遠くも近くもない。
まっちゃんと私は近畿及び西日本はだいたいのところへ行ったので、東への旅に興味があったのである。
そして距離と時間を考えれば御前崎が適当だった訳だ。
で、行ってみると確かにこれと言った観光名所はない…。
唯一目玉的存在だった『灯台』も外壁美装工事のため足場が組まれ、シートがかけられてその美しい姿を隠されていた。
やたら風が強かったのが記憶にある。
他の名所は…と、ガイドブックを見てみると、『猫塚』『ねずみ塚』というものがあった。
まっちゃんと私は『ちょー猫好き』なので、
「猫塚って…これは…行かねば!」
という雰囲気になった。
早速、車を走らせ地図を睨みながら、先ず『ねずみ塚』に到着。
メインの『猫塚』は後に取っておく。
今や人気の乏しい観光地、しかも平日と言うこともあって、そこには誰もいなかった、でも『ねずみ塚』はそこそこ立派なもので、駐車場はもちろん水洗トイレ完備。
定期的に清掃がされている雰囲気だった。
下記のWebではわからないが、この『ねずみ塚』を中心に『ねずみ塚公園』なんてのが造られていることからも、その管理に予算が使われていることが想像できる。
そこで、そもそも何でこんなものがあるかというと…
昔、御前崎沿岸で船の破片に縋り漂流してきた子猫を遍照院の住職がふびんに思い猟師に頼んで救い上げ寺に連れて行き育てました。
それから十年の歳月が経ったある春の日に、旅僧が宿を求めに来ました。ところが3日後の真夜中に本堂の天井裏で激しい物音がしました。一夜明けて村人たちと天井裏へ上がって見ると寺の愛猫と隣家の猫が傷を負い近くには旅僧に化けた大鼠が倒れていたのです。大鼠が住職を食い殺そうとたくらみ訪れたことを猫は見抜き、昔助けてもらった恩義を忘れず身を投げ打って危急を救いました。住職と猟師はこの2匹の猫を憐れみ寺脇に手厚く葬りました。一方、大鼠の死骸は海に捨てようとしましたが猟師の夢枕に改心した鼠が現れ海上の安全と大漁を約束したため海の守り神として葬られました。という言い伝えです。
そして、次はいよいよ『猫塚』。
これも地図を見ながら向かう…が…
なかなか見つからない。
地図の通り進むと、『猫塚』は車が転回できない細い道を通り、畑に囲まれた場所にたどり着いた。
「んっ、何もない…。」
あっちこっちと移動し地図を睨み、探し回る。
「ここさっきも通ったな…地図では…この辺り…なんだけど…。」
と、やっと見つけた。
そこで、一言…。
「えっ?これ?ちっちゃ〜!!!!」
そこにあったのは古びた、ものすごく小さな猫のモニュメントだった。
ただ、大きさも姿形も、ある意味本物っぽいものだけに…
すごく親近感があり、可愛らしかった…。
それにしても、
この差はなんだ!!!!????
あんなに立派なしかも整備されている『ねずみ塚』に対して『猫塚』の貧相なこと!!!!
昔話からすると悪い化けねずみを勇敢にも退治した2匹の猫、しかも1匹は隣に住んでいた猫。『名誉の戦死』である。
にもかかわらず、『ねずみ塚』のほうが圧倒的に大事にされていた。
いくら化けねずみが改心し海の守り神になったとしても、
これは納得できん!!!!
御前崎の皆さん!
もちょっと何とかしてやってください。
http://homepage3.nifty.com/daturyoku/sizu/omaezaki/todai.html